不安は常にある
「不安がなければ仕事ではない」
随分前に、経済雑誌でそんなタイトルの記事を読んだことがあります。
当時、仕事は不安の連続でしかなかった私は、そんな言葉に「自分だけではないんだ」と安心させられたものです。
まだ駆け出しの頃は、受注伝票を書くことだけでも不安だった。営業先へ向かう歩く間も不安だったし、何気ない世間話、天気の話をするだけでも不安でした。
当時の上司と酒を飲んでいてこんな事を言ったのを覚えています。
「仕事って、不安をひとつひとつ無くすための作業みたいですね」
もう定年を過ぎた私の師匠は、ガハハ!と笑って「そうだね」と言いました。
歳を重ね、経験を重ねるたびに不安の種は変わっていきましたが、50代になった今でも、いつも不安があることに変わりはありません。
特に新規プロジェクトへの挑戦は、未知の事柄も多く、手探り状態の暗中模索で仕事を進めていく中で、常に不安をぬぐうことができません。
やらなければ良かった
今回もそう。
3か月に渡る新規プロジェクトがようやく終わりに近づき、あと2週間で納品完了という時になって、不安はいよいよ最高潮に向かっていきました。
頭の中には常にプロジェクトの事があって、夜眠りに就く時はあれやこれやと思いを巡らし、朝起きても自分のやった事柄を思い起こし、どこかに見落としはなかったか?指示ミスはなかったか考えるようになる。
夜中にハッと目が覚めて、不安にかられて自宅のPCを立ち上げ書類の確認をするなんてこともありました。
こんな仕事、請け負わなければよかったかも…。
と思うことは何回あったことでしょう。
着信を恐れる日々
昼間は携帯電話にも敏感になります。
何かとてつもないミスが発覚しやしないか。何か想定外の事故が発生しやしないか。
”ブーン”と携帯が振動するたび、スマホの着信画面をチラ見します。
着信画面の名前が全く的外れな人からであれば、
「あなたが電話をくれて、とてもうれしい!」
と叫びたくなるほどの刹那の幸せを感じることすら出来ます。
そんな時の多少の厄介事は
「たいしたことありませんよ!やっておきます!」
なんて言ってしまいます。
今、頭の中の前頭葉から側頭葉、後頭葉、頂頭葉に至るまでに占めている不安に比べたら、多少の無理難題なんてかわいい仕事です。
着信画面が、新規プロジェクトの関係者だったりすると、一瞬の間に頭の中を様々な問題発生の可能性が駆け巡るわけです。ほんとに瞬時にして、想定される”失敗”の数々が箇条書きのように映像のように頭の中に現れるのです。
おそるおそる電話に出ると、
「今日、ランチ一緒にいかない?」
そんな一言に、頭に浮かんだ不安のモヤは瞬く間に晴れ、
「行くよ!行くよ!ランチでもディナーでも、フレンチでも中華でもカツカレーでも、なんでも奢ってあげる!」
と叫びたくなるほどの刹那の幸せを、ここでも感じることができます。
不安とは幸せを感じるための大事な要素のひとつなのかもしれないですね。
”最悪”を想定する
いよいよあと3日で納品。
この頃は、あれやこれやとミスが発覚した時の対処を想定するようになります。
- ここがダメならあれを持ってきて代替する。
- あそこがダメだったらこれを補充する。
- あの部分だけなら徹夜すればなんとかやり直せる。
- ひたすら土下座して謝る。
- 始末書を書く。
- 出入り禁止になったら新しい顧客開拓をすればいっか。
- 進退伺を提出する。
とかとか、考えられる最悪の事態を覚悟するのですな。
ここまで考えると、気持ちも開き直ってくるものです。
不安の後にやってくるもの
いよいよ納品日。
金曜日の昼前に、顧客のもとに赴き最終チェックを受けました。
眼光厳しい顧客の目が、確認を終えて柔らかくなる。
そして、感謝の言葉が発せられる。
私はあくまでクールに涼しい顔を装いながら「いえいえ、お役に立てて良かったです」なんて言いながら、その場を離れました。
駅まで歩く道すがら、何度も何度も胸の前で拳を握りしめガッツポーズをとりましたね。
”おまえは子供か?”と言うなかれ。
だって、だって、不安がなくなったんだもん!!
ここで最高の充実感、達成感、喜びを感じることが出来るわけです。
やっぱり、不安があるから幸福感もあるものなのですな。
”私は今、幸せです!”
と駅前で叫びたくなるほど。
その後、駅前のラーメン屋でラーメンを食べ、牛丼屋で牛丼を食べ、喫茶店に入りチーズケーキを食べました。
ここ1週間、昼ご飯を全く食べていなかったんですよね。
50代になっても
ミスをしない一番の方法。それは何もしない事。
でもそれは、何も生むことはありません。
ミスを恐れず、不安を抱え、挑戦すること。
イノベーションとはそこからしか生まれないのかもしれないですよね。
イノベーションを起こすのは、”若者” ”よそ者” ”バカ者”と言われます。
若者にはもうなれないですが、バカ者にはなれるのかもしれません。
50歳を超える頃には不安はなくなるのだと、若い頃には思っていましたが、決してそんなことはない。新しいことにチャレンジしていく限り、不安はいつでも追ってくる。
不安を恐れてチャレンジを止めてしまうような、つまらない50代にはなりたくない。
なんて事をささやかな新規プロジェクトを終えた今、思うわけです。
不安がなければ仕事ではない。不安がなければ成功もない。
とはいえ、今まで書いた始末書の数は知れず。
関係者の皆様、いろいろとご迷惑をおかけしてきました。
あいすいません。